バヤダレス政権は、1997年9月に世界貿易機関 (WTO) へ加盟する等、パナマの世界経済への統合を推進すると共に、国営電話通信会社 (INTEL) 及び国営電気会社 (IRHE) 等の国営企業を民営化し、その売却益を開発信託基金 (FFD) として運用し、さらに自由競争及び消費者問題委員会 (CLICAC) 及び公共サービス監視機構 (Ente Regular de los Servicios Públicos) 等を設置し、国内企業の生産性及び競争力向上に努めた。
1998年8月、バヤダレスは、国民投票(形式的には大統領の連続再選を可能とする憲法改正の是非を問うものだったが、実際はバヤダレスの再選を国民に問うものであった)を実施したが、改正案は否決された。
モスコソ政権の成立と運河返還
与党PRDでは、バヤダレスが再選を目指し国民投票を実施したことから候補者選出が難航したが、当時35歳だったマルティン・トリホス(父親は故トリホス国家警備隊最高司令官)が候補者に選出された。一方、野党アルヌルフィスタ党でも候補者選出は難航し、党内予備選挙でモスコソに敗れたバヤリーノがアルヌルフィスタ党を離党しキリスト教民主党から大統領に立候補した。
1999年5月に実施された大統領選挙では、野党アルヌルフィスタ党のモスコソが総投票数の43.0%を獲得して勝利し、同年9月にパナマ史上初の女性大統領となった。一方、同時に実施された国会議員選挙ではPRDが善戦し、71議席中34議席を獲得した。
1999年12月14日、新運河条約に基づき、ミラフローレス閘門に設けられた特設会場において運河返還式典が実施され、各国代表の出席の下、モスコソは、カーター元米国大統領と運河返還に関する文書を交換した。また、12月31日正午にパナマ運河及び運河流域が米国からパナマに返還された。
運河返還後の対米関係の構築及び中米諸国との連帯がモスコソ政権の外交課題であったが、米国とは運河返還に前後して経済と環境、貿易と農業、司法改革、安全保障をテーマに協議が行われた。2003年6月に訪米したモスコソはブッシュ米国大統領との会談で二国間自由貿易協定 (FTA) 交渉開始に合意し、2004年4月から交渉が開始された。さらに、2000年7月から12月及び2003年1月から6月まで中米統合機構 (SICA) 議長国を務め、第19回サンホセ・フォーラム(2003年5月)、日・中米フォーラム(2003年5月)等を主催した。また、中米との自由貿易協定 (FTA) を推進しており、エルサルバドルとのFTAは2003年4月に発効し、コロンビア及びドミニカ共和国とは貿易リストの拡大に合意した。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
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